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六角氏討伐記

LV39になった[彩]さんと[織]で近江屋敷へ。
近江屋敷は私は初めてで新鮮でした。
侍侍忍忍巫薬僧の編成で30台中盤の徒党編成。やはり我々がLV39で
一番レベルが高いです。

六角氏門衛は侍型で7体全員が同じレベルで同じ姿。
「7つ子だw」「おそ松はどれだw」などと騒ぎながら狩っていました。
蒲生氏一門は陰陽、目加田氏一門は神職、平井氏一門は僧といった風に
○○一門はある職という越中屋敷と似た構成です。

2徒党のみで空いており、お金は少ないものの経験は3万台で修得は
なかなか稼げる狩場でした。

ボスが空いており、徒党の皆も乗り気なので戦ってみることに。
まずは蒲生賢秀LV37:7体の陰陽型武将。巫女さんが最初に入れず
気合韻の無いままの戦いでしたが武将本人も部下達もそれほど
強くなく(部下達は屋敷内を徘徊しているNPCと同じくらいの強さでした。。)
結局は楽勝に近いくらいでした。残念ながらドロップは無し。

次に後藤賢豊LV37:7体の侍型武将。武将の攻撃がもっと痛いかと
思いましたが4連撃でも侍さんに400程度のダメージでした。
途中巫女さんがやられるも蘇生で挽回。もっと苦戦するかと
思いましたがあっけなく倒すことが出来ました。やはりドロップは無し。

両方とも経験値は4万台とさほど高くないので、武将と言っても
かなり弱い部類になるのでしょうね。合戦に向けて武将戦の練習には
多少なったかな。ここで時間切れで解散。六角義治・義賢の攻略は
またの機会に。

蒲生賢秀(1534-1584)
近江日野城主。六角氏に仕え、織田信長が六角氏を攻略した際は
本拠の観音寺城が落ちた後も抗戦の構えを崩さなかった。息子を
信長に人質に出して織田家に仕えた。この人質が後の蒲生氏郷である。
柴田勝家の与力となって各地を転戦。勝家が越前北ノ庄に移ると
信長の旗本となり、本能寺の変の際には日野城に近い安土城を
守っていた。明智光秀の誘いに応じず信長の親族を日野城に移動させて守り、
秀吉にその行為を誉められた。氏郷に家督を譲って隠居。84年に病死した。

後藤賢豊(?-1563)
六角氏の重臣。同じく重臣の進藤氏と共に「六角両藤」と称された。
六角義賢の部下として内政面で活躍したと言う。六角家中での権勢は
相当なものだったようで1563年、義賢の嫡子の義治は後藤賢豊とその
息子を殺害、後に言う「観音寺騒動」を起こした。これにより六角氏に
従っていた豪族達の信頼が揺らぎ、六角家衰退の一つのきっかけと
なった。

[織] LV39のまま 「成仏撃・弐」を修得

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